2013/05/09

The story of PPG(連載第4回)

Part 4 タンジェリン・ドリームとの出会い、そしてDCOの誕生

 70年代中盤、パーム氏はドイツを代表するシンセサイザー・ユニットのメンバーからの連絡を受けることになる。それがタンジェリン・ドリームのクリス・フランケだった。その後のタンジェリン・ドリームとパーム氏の深い関係の始まりである。

 クリス・フランケはパーム氏と会ってエレクトロニック・ミュージックについて、そしてエレクトロ・デバイスのアイデアについて一晩中語り明かした。彼の斬新なアイデアと情熱がパーム氏のクリエイティヴ精神をどれだけ熱くしたかは想像に難くない。

 タンジェリン・ドリームは当時、リーダーのエドガー・フローゼ、クリス・フランケ、ピーター・バウマンの三人で黄金期のトリオを形成していた。1974年に"Phaedra"で本格的にリズミカルなシンセ・フレーズをフィーチャーした現在のトランス・ミュージックの原型となるような独創的なスタイルを確立して大きな評価を受けていた。ムーグ・モジュラー・システムを使用したパーカッシヴなサウンドでいくつもの複雑なシーケンス・ループを生み出して、そこにメロトロンやオルガン、ギターなどで浮遊感のあるインプロヴィゼーションを加える。その斬新なサウンドはジャーマン・プログレッシヴ・ロックにひとつの金字塔を打ち立てたのである。

 タンジェリン・ドリームはサウンド・メイキング上のさらなる可能性を求めていた。クリス・フランケはパーム氏にモーグ・モジュラー・システムのカスタマイズと拡張を依頼した。すでにモーグ・モジュラーのOEM供給を行っていたことがタンジェリン・ドリームの音楽を発展させることに大きく役立ったのである。

 そして、当時のタンジェリン・ドリームのライブで重要な役割を果たしていたピーター・バウマンからは特製のコントローラーの組み込みを依頼された。彼らはコントロール・キーボードに付随するモジュレーション・ホイールに注目していた。これを拡張して8個のモジュレーション・ホイールを搭載したのである。それらが発するコントロール電圧はモーグ・モジュラーの任意のモジュールにパッチングされ、コントロール電圧の幅もノブで自由にコントロールすることができた。現在のシンセサイザーのようにプログラムされた音色を瞬時に呼び出すことができなかった時代、音色のリアルタイム・コントロールはとても重要だった。従って、ノブのみならず、ホイールやレバー、リボン・コントローラーなどモジュレーションをコントロールするデバイスが多ければ、演奏を多彩にできるのである。タンジェリン・ドリームの資金の多くが投資されて彼らの楽器の多くにこの拡張が成された。ちなみにPPGの株をタンジェリン・ドリームが所有しているとか、パーム氏が個人的に彼らを直接サポートしていたというウワサはどうやらガセのようである。

 その後、1976年にパーム氏はアナログ・シンセサイザーの最大の難点を二つ解決する技術を開発した。それは不安定なピッチを正確なピッチに制御するデジタル技術である。アナログ・シンセサイザーのオシレータは温度条件にとても影響を受けやすい。高温となるライブステージで演奏したり、シンセサイザーの回路が発する熱によってピッチが不安定になってしまうのだ。それはモーグ・モジュラー・システムでも同じことである。時には過酷な温度条件が原因となって、演奏中にシンセ・デバイスが停止してしまうことすらあった。一般的には換気をよくしたり冷却用のファンをつけるといった物理的な方法での対応しかなかった。この問題を解決するためにパーム氏はデジタル・オシレータを開発したのである。

 最初にDCO(Digitally Controlled Oscillator=デジタル制御発振器)を搭載したシンセはPPG1024である。デジタル制御によるオシレータはもうひとつの優位性を持っていた。それは従来のアナログ・シンセでは考えられなかった多く種類の波形を供給できることだった。アナログ・コントロールのVCOにおいてはサウンド・スペクトラムを生み出すのに独自の電子回路を生み出す必要がある。従ってノコギリ波、パルス波、三角波といった代表的な波形しか搭載できなかった。ところが波形生成にデジタル技術を採用したことで様々なサウンド・スペクトラムを有する波形を生成することができたのである。

 この時代のシンセサイザーのもうひとつの問題は、プログラムした音色を保存できないことだった。ユーザーはプログラムしたサウンドの設定値を紙とペンでもメモとして書きとめて、作業続行時にメモを頼りに音色を再構築した。ところがアナログ的なノブの設定をメモしただけでは微妙な差異を記録できず同じ音色を再現することはとても困難であった。

 パーム氏はDCOを搭載したPPG1020シリーズをベースに操作ノブを廃したシンセサイザーを開発した。音色プログラミングは内部でデジタルでコントロールされる。ユーザーはノブの替わりにデジタル・プッシュボタンで設定値を直接入力する仕様だった。操作ノブでのプログラミングに比べると自由度は失われる。しかし音色プログラム完全な状態で保存できるという大きなメリットが生まれた。マイクロプロセッサはまだ登場していなかったので、デジタル制御部分は個別のデジタルICの組み合わせで出来ていた。実現はしたものの誤動作を多発する結果となったことは否めない。

 このシンセはPPG1003、"Sonic Carrier"と命名された。その語感からから可搬性の高いコンパクトなシンセをイメージするかも知れないが、パーム氏によればサウンドの保存をして伝達、移動できるという意味を表したのだという。"Sound Carrier"はキーボード付きのスタンドアローン型と音源モジュール型が存在していたが、キーボード・バージョンはかなり大型なボディとなってしまっていた。販売台数は16台と少ないが音色をメモリー保存できる世界初のシンセサイザーだったのである。

 1977年、パーム氏はフランクフルト・メッセに参加する。と言っても、ブースを出展するわけでもなく機材を車に積み込んでドライブするような感覚だった。目的は、PPGモジュラーシステム、コンパクト・シンセサイザーのPPG1003、PPG1020をフランクフルトまでもっていってホテルの部屋で現地のトレーダーやミュージシャンにそれを紹介して営業するためだった。ハンブルグで活動するミュージシャンでPPG1020のオーナーでもあるDetlev Reshoftも同行してくれた。彼のワーゲンにパーム氏の機材が入っていたのである。

 飛び込みに近い形ではあったがパーム氏一行はフランクフルト・メッセに来ていたバイヤーたちにPPGシンセサイザーを紹介して営業をかけることに成功した。興味をもってくれたバイヤーはドイツでの店舗展開を目論見て"Cash and Carry"キャンペーンで市場に参入するタイミングだったので実際にその場でシンセサイザーを購入し店舗に納品した。

 その後、オッフェンブルグの店舗から商品に対する不満のクレームを受けた。その主はWolfgang Durenと言う。今までパーム氏と面識すらなかった彼は、幾日も経たないうちに驚くようなことを提言してきた。それは直接取引を止めて一緒にPPG代理店を開くというプランだった。彼はこちらの返答もままならぬうちにそのプランを実行に移し代理店会社が設立されてしまった。
監修:玉山詩人

「ウェーブテーブル」方式を採用した元祖とも言えるシンセサイザー「PPG」を生み出したWolfgang Palmが、iPad向けに新たに開発した「PPG WaveGenerator」がAppStoreにて販売されています。CCモードを使用すればFirefaceでその緻密なサウンドを完全に再現することが可能です。RMEとPPG、ドイツのマイスター企業の共演を是非お楽しみください。