Part 5 苦難の日々を好転させたクラウス・シュルツとの出会い
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Part 6 CPU世代の大きな夢(シーケンサー) >>
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また、ミュンヘン・サウンドと呼ばれて名をはせたイタリア人のGiorgio Moroderのディスコ・サウンドも大きな流れを作った。専用のデジタル・シーケンサーがない頃からモーグ・モジュラーのアナログ・シーケンサーで工夫を凝らしていた。ひとつはオーディオ・データによる同期信号で正確なリズムで駆動する方法。もうひとつはアナログ・ディレイを使って16分音符のフレーズを生み出すこと。それらの機械的なフレーズを支えるKeith Forseyのソリッドなドラミングを武器に、今まで聴いたことのなかったようなデジタルっぽいビートの音楽を生み出していた。代表作がDonna Summerの"I Feel Love"だ。1979年にはRoland MC-8を導入しライブ録音によるデジタル・シーケンスを大フィーチャーした"E=MC2"を発表する。
Schulzeは自身の音楽性を確立し、すでに世界的に知名度を上げていた。そこで彼は次のようなコンセプトのシンセサイザー・スクールを開講するプランをパーム氏にもちかけたのである。パーム氏とスタッフ、Schulzeは綿密な打ち合わせを重ねた。そして、シンセサイザーの技術習得のための本格的なカリキュラムが用意され、その内容は専門的でスクールは大きな組織となった。
カリキュラム習得に必要な楽器はパーム氏の経営するストアから供給することになった。結果、多くのMoog、ARPのモジュラー・シンセサイザーが納品されてパーム氏の営業的危機をを救った。そこを足がかりにパーム氏は自身の経営するストアで安価で優れた日本製のシンセを扱うようになりさらに成功を収めた。そのアイデアは単なる楽器店で無く、シンセサイザーに特化したキーボード・スペシャリスト・ストアと言えるものだったのである。ストアのオープニング・レセプションに現れたSchulzeは、さぞかし満足したに違いない。
その頃、パーム氏は最初の夫人と一緒に住む家を購入しようとした。しかし信用保証会社との交渉は難航し建築許可がなかなかおりなかったために家を完成することはできなかった。それなのにパーム氏夫婦は古いアパートを既に引き払ってしまっていたので宿無し状態になってしまったのである!
Michael Wehは優秀なプログラマーでPPGの最後の画期的な製品Realizerの開発にも関わることになる。しかし、当時の彼は購入した自身のためのWave Synthesizerと共にクェートで拘束されてしばらく行方不明になってしまった。
Detlev Paschenは大学で技術方面の学位をとるための勉強をしていた。その傍らでスペシャル・ストアの運営やカリキュラムの作成に尽力した。そして後にはPPGのDigital Synthesizerのサブ・プログラマーとして活躍、やはりRealizerの開発に関わることになる。
Stu Goldbergはピアニスト、作曲家でドイツ国内で敢行したコンサートですでに有名だった。パーム氏とStuはアメリカを訪問して行ったワークショップで多くのユーザーやバイヤーの関心を集めた。Stuは特別にカスタムされたMoogをパーム氏のショップで購入して素晴らしいテクニックを披露してくれたのである。彼はWaveに夢中で常に肌身離さず地下で一晩中サウンド制作を行うほどだった。
監修:玉山詩人
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「ウェーブテーブル」方式を採用した元祖とも言えるシンセサイザー「PPG」を生み出したWolfgang Palmが、iPad向けに新たに開発した「PPG WaveGenerator」がAppStoreにて販売されています。CCモードを使用すればFirefaceでその緻密なサウンドを完全に再現することが可能です。RMEとPPG、ドイツのマイスター企業の共演を是非お楽しみください。